2019年1月6日日曜日

ブログサイト移動のお知らせ

だいぶ時間がかかってしまいましたが、この道草しながらのコラムを、掲載していただけるサイトが決まりました。

2019年1月1日号より、
長野県塩尻市にある、木工品、漆器製品の会社である酒井産業さんのホームページに掲載させていただくことになりました。

タイトルは今まで通り、『道草しながら』です。
引き続きお読みいただければと存じます。




2018年12月22日土曜日

『観光地は外国人であふれている』


京都や奈良で、外国人観光客が多くなってきているという話をよく聞くようになりました。
訪日外国人は今年度3000万人を超えたそうです。10年前に比べて4倍ほどになります。
京都や奈良だけでなく、日本各地にそのような現象が起きているわけですね。
先日、テレビで、その京都の観光客の増加のことを取り上げている番組がありました。

すでに、京都は、オーバーツーリズムだそうですそこで、ちょっと気になることがありました。

自然の中に人が多く入りすぎることを、オーバーユースと言います。
同じようなことかもしれませんン。
しかし街中でのオーバーユース…オーバーツーリズムと表現していましたが、そんなことがあるのだろうかと思いました。
自然の場合は、人が多く入ることによって、色々なところが踏み荒らされ、裸地化したり、トイレが足りなくて不衛生になったりという問題が生まれますが、街中では裸地化も何もないでしょうし、トイレも大丈夫でしょう。と、思いました。
しかし、ゴミが増えているのだそうです。今までは、街角にゴミがすれてられることなどはなかったそうです。
しかし、最近は街角に、食べ物のトレイが捨てられていたり、コンビニ袋に入ったごみがポンと置かれていたりするそうです。
一概に言えることではないのでしょうが、外国人が増えて、ごみのポイ捨てが増えたということは、外国人が捨てていると考えてしまいますね。
私も、街中で、日本人だと思う人がごみを捨てるのを見て、むっとした時、その人たちが、外国語を話していたという経験をしたことがあります。

外国人がもっときちんと、日本の文化を知り、その文化に沿った観光をしていってほしいと思うものです。
しかし、それは返す刀で、自分たちの、一昔前の団体旅行の恥を思い出させるものでもあります。
きっと、昔はこんな旅行の仕方を日本人もしていたのだろうな。「旅の恥はかき捨て」などと言いながら。

しかし、もうひとつ、気になることがあります。
本当に、ごみをポイ捨てしているのは外国人なのでしょうか?
いえ、全部が全部外国人ではないでしょう。ポイ捨てする多くは外国人なのでしょうか?

今、外国人が、ごみの多くを捨てているとしても、これから先、そのごみがある街の風景になれてしまった、日本人が、ごみを捨てるようになってしまうのではないでしょうか?
そんな風になってしまうような気がしています。
今の日本人は、ごみは捨ててはいけないという気持ちよりも、まわりがそうしないから、私もしないでいようと思ってごみを捨てていないように思うのです。
ですから、まわりがごみを捨てだせば、私もいいやと言って、捨て始めてしまうような気がしてなりません。

そんなことにならないように、子どもたちを育てなくてはいけませんね。
ゴミはごみ箱に捨てなくてはいけない。人が見ていようが見ていまいがです。
それは、いい悪いではなく、習慣としなくてはいけないことです。
習慣となるのは、子どもの時に、躾られるからです。
そんなしつける場所は、今、家庭の中にあるのでしょうか?
あると信じたいと思います。
同時に、それをお手伝いするのが、私たち、社会教育の者の務めであると思っています。


2018年12月15日土曜日

『答えのない問い』


答えが出ないようなこと考えて見ませんか?
ネットで調べないでください。

例えば、
『生きるとはどういうこと? 』
『死ぬとどうなるの?』
『人はなんで働くの?』
『人生にとって大切なものは何?』

『友情ってどんなもの』
『愛するとはどういうこと』
『育てるってどういうこと』

『将来、自分はどうなっていたい?』

こんな質問にも、なんとなくネットでは答えのようなものが書き出されています。
しかし、それは、あなたの答えではありません。
自分で考えてみてほしいのです。

子供さんにも、そんな、答えが出ないような質問をして見てください。
子供は、簡単に答えが出ないようなことに対しても、思いつきのように答えを出してきたりします。
そして次の日には違う答えを出したりします。
それでいいのです。
そのように、いつも考えて、いつも今一番正しいと思う答えを出す習慣をつけることが大切なのです。
生きて行く中で、一番大切な者は何か。これはいるのかいらないのか。
生きて行く中で、一番大切な事は何か。今、しなくてはいけないことと、しなくていいこと。
私たちは、いつも答えがないことを考え続けなくてはいけないのです。
そして、その時一番正しいと思う答えに基づいて生きていくのです。
でもそれは明日、違う答えになるかもしれないのです。それでもいいのです。

なぜなら、誰も答えを持っていない『死ぬとは?』ということに向かって生きているのですから。
どのように死ぬかを考え、その姿にたどり着いて死ねれば、幸せなのではないでしょうか?
もっと生きたいと思い続けて、まだ死にたくないと醜くもがいて死んでいくのは幸せではないのではないでしょうか?

答えが出ないようなことを考え続ける習慣を、子供の時に身につけてほしいと思います。

政治家は、長生きして幸せになろうと言います。一票が大切ですから。
お医者さんも、まだまだ生きられますよと言います。命が大切という大義名分のもと、医療費を稼ぎたいですから。
自分の命をどのように生かしていき、死んでいくのか。
答えはありませんでしょう。
しかし、誰もが出さなくてはいけないことです。
子供の時にから、そんなことを考える習慣を持ちたいものです。


2018年12月8日土曜日

『長く風邪をひきました』


今回のお話は国際自然大学校の機関誌『OUTFITTER』雑記帳201712月号に掲載した雑記帳の再掲載です。
ただし、20181208日に加筆しました。



風邪ひきました。
9月に久しぶりでキャンプの指導をした時、雨の中、大きなフライシートを張りました。
若いスタッフもいたので、ちょっと張り切ってしまいました。
雨にも濡れ、汗だくにもなり、ちょっと冷えたのだと思います。着替はしたのですが、ダメでした。
若いときは、こんなことで風邪引いたりしなかったのに・・・
その風邪が、なんとつい先日まで尾を引いてしまいました。2か月近くです。
よくなったかなと、思うと、またぶり返すといった感じです。咳が止まりませんでした。
病院に何回も行き、薬もずいぶん飲みました。
のど飴も、たくさん買いました。
小さなバックが薬入れになってしまいました。
若いときは、こんなに薬を飲むなんてことはなかったのに・・・
しかし、そんな風邪を引いている中でも、朝のラジオ体操は頑張って続けました。と、言ってもテレビ体操ですが…
この朝の体操も、今までは、ここまで曲がっていたのが曲がらない。あれ、ちょっと腰が痛い、無理をしない程度にしておこうという。そんなことがだんだんと増えて来ています。毎朝していると、定点観測のように自分の体の衰えがわかります。
若いときは、もっと軽やかにできていたのに・・・
若いときは・・・というようになったら年だと言いますね。
今、まさに、年なのだなと思います。
これが老いるということなのだなと思います。

見た目は、どうとでもなるかもしれますが、風邪を引きやすくなるとか、治りにくいとか、体が思うように動かなくなるといったことは、生きていく上で、とても問題です。
すなわち、死に近づくということです。仕方のないことです。人はいつか死ぬのですから。
しかし、寝たきりで生きながらえたりしないように、その時まで、自分のことは自分でできるような体でいたいと思います。

八ヶ岳の我が家の土地を分けていただいた大家さんのご夫妻は80才をお大きく超えた今も、毎日畑仕事をし、庭の草むしりをされてお元気です。
ご自分では、年だよとおっしゃっていますが、なかなかどうして、お元気です。
こんなふうに年老いたいと思います。
自分のことを自分でしたいることが大切なのかもしれません。
庭を綺麗にし、花を咲かせ微笑み、食べるものは自分で育てる。そのために汗をかく。



2018年12月1日土曜日

『ヘルプマーク』


もう10年以上前の話なのですが、モンゴルは石鹸が足りないということで、日本の人たちが、石鹸を寄付して、モンゴルに送ったということがありました。
しかし、実は、モンゴルは、石鹸が足りないのではなかったのです。
まず、乾燥した国なので、あまりせっけんを使って、体を洗う問う習慣がなかった。
また、まだ、浄化槽設備が整っていないので、国が、衛生面から石鹸を使うことを推奨することができなかったのです。
そこへ日本から大量の石鹸が送り込まれました。
モンゴルは、石鹸を使う習慣が普及したかもしれません。
同時に、川にそのまま石鹸液が流れ、魚が大量に死んでしまうということが起きました。
当時、まだ、川魚をとって暮らしていた人たちがたくさんいた国です。その人々は、相当困ったと聞いています。

日本でその運動をした人たちに悪気はなかったでしょう。
きっと旅した時に、『石鹸なんか使わない。』と、モンゴルの人が言った言葉を、通訳の人が、『石鹸なんかない』とか訳したのかもしれませんね。
それを聞いた、人の好い日本人が、なんてかわいそうなんだろう。それなら、石鹸を集めて送ってあげようということになったのでしょう。
しかし、本当のところは知らなかったのでしょう。
受け取る方は、日本から物がもらえるなら何でもいいと思ったのではないでしょうか。
そういう時代でした。

さて、今私たちは、本当に本当に豊かな国に住んでいます。
しかし、今年は災害も多発しました。
そのたびに、私たちは、被災地に手を差し伸べてあげなくてはいけないという思いに駆られました。
災害があったところにはたくさんの困っている人がいらっしゃるのは間違いのないことです。
その方々に手を差し伸べるのはとてもいいことです。
しかし、いま、平静な生活に戻った時、その手を差し伸べる気持ちを、皆さんは持ち続けているでしょうか?

コンビニで、会計を手間取っている人の後ろで、チッと舌打ちする若者を見ました。
エレベーターに乗ろうとするベビーカーの前にするりと割り込む奥様を見ました。
おふたりとも、困っている人には見えませんでした。
私たちは、災害のような特別な出来事に対しては興味を持ち、流行に乗るように支援をするのではいけないと思います。
本当に大切な支援は、目の前で、自分自身が、この人は困っていると判断し、お話をして、支援を希望する人に対して、手を差し伸べることなのではないでしょうか?

そういえば、お恥ずかしながら、先日知ったのですが…
ヘルプマークって知っていますか?
見た目ではわからないけれど、援助や配慮、支援が必要な人がつけるマークです。
せめて、そんな人たちには、気づいてあげて、手を差し伸べるやさしい人間になりたいと思います。


こんなマークがなくても、手を差し伸べられる人間になりたいものです。


2018年11月23日金曜日

『エスカレーターは弱者にやさしいですか?』



今回のお話は国際自然大学校の機関誌『OUTFITTER』雑記帳201711月号に掲載した雑記帳の再掲載です。
ただし、20181122日に加筆しました。

先日、父の通院の付き添いで、ちょっと大きめの総合病院に行ってきました。
当たり前のことなのですが…エスカレーターは、とてもゆっくりと動いていました。
それはそうですよね。お年寄りや、具合の悪い人が乗るのですから、ゆっくりと動いてないと、乗れませんものね。
もちろん、2人並んで乗れる幅です。駅などでは…片側に乗って、もう片側は急いでいる人が昇っていくという感じですよね。
病院のエスカレーターは、付き添いの方が、具合の悪い人の傍らに乗っています。これは、エスカレーターはこの幅が必要だととても納得する風景でした。

そして、その日の夕方、東京の赤坂で人と会う約束があったので、電車で移動しました。

電車の最後尾に乗り、目的地で降りた駅では、目指す改札口はホーム最前部だったので、ぽつぽつ歩いてホーム最前部のエスカレーターを目指しました。先に見えるエスカレーターには人が殺到して、ホームにあふれています。
どんどんその人たちが、エスカレーターで地上に運ばれて行きます。
私が行くころには、もう、ゆっくり乗れるなと思って歩いていました。すると、なんと、私がエスカレーターにたどり着く前に次の電車来てしまって、あっという間に人の波に飲み込まれてしまいました。

そしてやっと乗ったエスカレーターが、早い!
病院のエスカレーターと同じものとは思えないほどです。
このエスカレーターにはお年寄りや、具合の悪い人は乗れないな~と思ったりしました。
ましてや、のろのろ乗っていたら怒られてしまいそうなほど、次から次へと人が押し寄せてきます。
エスカレーターは本来、病院にあるように、お年寄りとか、身体の不自由な人のために考えられたのではないでしょうか?
でも、そのエスカレーターが、駅に導入され、もっと早く人を運ばないといけない。
そのためには、エスカレーターのスピードを上げればいい…となって、結果として、エスカレーターを開発した本来の目的である、お年寄りや体の不自由な方のために考え出されたはずのエスカレーターから、そういった人たちがはじき出されてしまうという感じですね。
今の日本の経済社会、何か作る時には弱者のためと言いながら、普及すると弱者のことを忘れてしまう…そんな世の中みたいな気がしています。


2018年11月15日木曜日

『叱る』

体罰はいけません。
では、子どもが悪いことをした時、どのような罰を与えればいいのでしょうか?

指導者と子どもたちとのコミュニケーションや信頼関係が大切だと教育評論家は声を大にしておしゃいます。
それはもちろん大切です。
しかしそのようなコミュニケーションや信頼関係を築こうと努力したうえで、それでもルールを無視する子どもはいるのではないでしょうか。

もうひとつの視点を考えてみてください。
学校や、地域のスポーツ団体をはじめとする青少年教育団体などは、子どもが社会に出るための準備をさせてあげる機関でもあるのです。すなわち、社会のルールを知らしめる場なのです。

家庭教育は、各家庭のルールで生活します。
しかし、社会に出れば、社会のルールがあり、その上にさらに、各会社や地域のルールがあるのです。
社会では、そのルールを破れば、当然のことながらペナルティー…罰…が課せられます。
ひきんな例は、人のものをとれば、逮捕され、刑が科せられます。

さて、その社会のルールを学ぶ準備期間である、学校で、どのようなペナルティーが許されているのでしょうか?

授業中に悪さをしていた生徒を立たせて授業を受けさせたら、非難を浴びた先生がいました。
だからといって、その程度の悪さで停学はないですよね?
小さなペナルティーが、許されない状況は、指導者に、子どもに社会のルールを教えなくていいと言っているようなものなのではないでしょうか。

社会のルールを知らないまま社会に出た子どもはいったいどうなるのでしょうか?

会社の方にこんな話を聞きました。タイムカードを押してから、化粧室に行ってお化粧する女子社員がいる。それを叱ると、そんなことで叱るならと、会社辞めてしまった。
特別な例かもしれませんが、自分のルールが通らないならやめる?
自分の行いを直すのではなくやめてしまう。
本当は叱られたら、改めるということを、社会に出る前に身につけておかなくてはいけないと思うのです。
それが身についていないのは、叱られたことがないのかもしれません。
又は、叱られても改めなくてもいい状況の中に身を置いていたということでしょう。

指導者が、子どもを叱った時、指導者が悪いのではなくて、子どもにその非があると考えてほしいと思います。
そして一緒に、行動を改める努力を応援してあげてほしいと思います。
もちろん指導者は、その非をきちんとお父さんお母さんに伝えなくてはいけませんね。
同時に、お父さんお母さんと、指導者は、一緒に、どのようなペナルティーをすればいいか、考えないといけないのかもしれません。
一時代前の体罰はよくないという現代の中でいかなるペナルティーを科していけばいいか、みんなで考えましょう。


2018年11月9日金曜日

『地域で頑張る指導者のみなさんへ』

今回のお話は国際自然大学校の機関誌『OUTFITTER』雑記帳2017年10月号に掲載した雑記帳の再掲載です。
ただし、2018年11月8日に加筆しました。

国際自然大学校も、はや35年です。
私自身はキャンプで飯を食おうと思って、40年になります。
当時は、こんな活動は誰もしていないし、仕事になるなどと誰も思いませんでした。
しかし、おかげさまというか、世の中変ったというか、たくさんの方々が同じように仕事にしています。
仕事まではいかなくても、セミプロのような方々を入れると、いったいどれだけの人がいるのか、想像もできないことになっています。
私が志した頃にも、いたにはいたのです。
まるで、プロのようなボーイスカウトの指導者とか。子供会のお父さん指導者とか。教育委員会の人とか。私自身も、川崎市青少年の家の館長さんに憧れました。
しかし、これで飯を食う人はいませんでした。
ところが、現代は逆に、これで飯を食っているからと言って、素晴らしい指導者かどうかは別の話です。ボーイスカウトやガールスカウトにも、漁業の合間に子ども達に海のことを教えてくれている人や、子どもと一緒に農業をして、その素晴らしさを伝えている農家の方、新しいところでは、森のようちえんの指導者など、素晴らしい指導者をたくさんお見掛けします。
プロだからアマチュアだからにかかわらず、キャンプだから、農業だから、環境教育だからにかかわらず、そんな素晴らしい指導者は、地域に根差していらっしゃることが多いです。
「俺は指導者なんて大仰なもんじゃねえよ。」と、とっとと行ってしまうおじさんの方が、子ども達に大切なことを教えてくれたりするものです。
そんな人たちに、もっとスポットライトを当ててあげたい。
もっと世の中の人に知ってもらいたいと思って、立ち上げたのが、ジャパンアウトドアリーダーズアワードです。
カタカナで、アウトドアとか言っているので、ちょっとキャンプのリーダーの表彰制度かなと思われがちですが、地域の指導者にスポットライトを当てたいと思っています。

いつもお子さんを面倒見てくれている、あのお兄さんや、あのおばさんやおじさんを紹介してくれませんか?
是非たくさんの人を社会の人たちの目に触れさせていただき、みんなで励ましたいのです。

詳しくは、下記サイトをご覧ください。


2018年11月2日金曜日

『消費税10%に思う』


来年10月に、消費税が10%に上がりますね。
この10%は、高いのか安いのか…ちょっとネットで調べてみました。
1     27.0% ハンガリー
2     25.5%  アイスランド
3     25.0%  クロアチア、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー
4     24.0% フィンランド、ルーマニア
5     23.0% アイルランド、ギリシャ、ポーランド、ポルトガル
6     22.0%  ウルグアイ
7     21.0%  イタリア、オランダ、スペイン、など
8     20.0%  イギリス、オーストリア、フランス、など
9     19.6%  モナコ
10  19.3%  カメルーン

世界の消費税って結構高いんのですね。
そう考えると、日本の10%はいい方なのかなと考えてしまいます。

しかし、この消費税は、逆進性といって低所得者層に対しては負担が大きくなる税であるということも指摘されています。
ですから、低減税率なる、生活必需品などは税率を下げるということも考えられているようです。

そして、この低減税率導入に際して、カード払いや、スマホを利用しての支払いなどをすると、2%分がポイントで還元するということも考えられているようです。
そりゃあ、いいね。便利だし、ポイント還元されるし、キャッシュレスは一気に進むな~。と、思ったのですが、あれ?
低所得者層に対しての配慮が低減材率です。
スマホや、カードを利用する人はいったいどういう人でしょうか?
高齢者や、低所得者層の人の多くは、カードなどを利用して買い物はしないのではないでしょうか?

そして、もっと不思議なのは…この2%のポイント分は、政府が負担するというのです。
みんなのキャッシュレス化が進めば進むほど税金を上げる意味がなくなっていくことになります。

この2%のポイント還元の政府負担も、何年かしたらなしにするのですかね。
でないと、財源になりませんものね。
すると、企業がその分負担するのでしょうか?
それとも、ポイント還元そのものがなくなるのでしょうか?
そうすると低所得者はどうなるのでしょう?
結局重い税に苦しめられるのですね。
政府はそれまでに、国民の所得を上げるという理論でしょうが、低所得者は、そんな簡単に所得が上がるものではないのです。
公務員や、一部上場会社の賃金が上がり、その後、中小企業そして個人営業の小売店や商店がそして最後にパートやアルバイトといった人たちが上がっていく。上がるかどうか…?

消費財上げた直後だけショックをやわらげたら、あとは低所得者の生活が苦しいことなど見て見ぬふりにならないことを願うばかりです。


2018年10月22日月曜日

『自分のことは自分で…』


今回のお話は国際自然大学校の機関誌『OUTFITTER』雑記帳20179月号に掲載した雑記帳の再掲載です。
ただし、20181025日に加筆しました。

夏休みも終わりましたね…と、いっても、今年は、もしかして多くの学校が91日より前に始業しているのかもしれませんね。
夏休みがどんどん短くなっていく…悲しいです。
今年の夏は、本当に雨が多かったですね。
屋根に乗っている太陽光発電の発電量も例年になく少なかったです。
逆に元気だったのが雑草たち。雑草という名前の草はないとおしかりを受けますが、ひとつひとつの名前を挙げられないので、雑草たちとまとめて呼ばせてもらいます。
この雑草たちは、驚くほど元気に次から次へと延びてきます。
晴れ間を見つけては、草刈りに明け暮れる毎日でした。
そして、ゲリラ豪雨? 激しい夕立でしょうか…、公道から、家に入ってくる取付道路に雨水が流れ込み、その水が畑へと流れて、畑の中に川ができてしまいました。
そこで、公道と取り付け道路の境に、土手を築きました。
お隣さんも助けてくださいました。
家を建てていただいた工務店さんは、道にまくバラス(砕石)をくださいました。
草刈りも、土手作りも、みな頑張って自分で行います。いいえ、違いますね、みなさんに助けていただいて自分たちで行います。
草刈りをするのに、草刈り機を使う。熊手で草を集め一輪車で、運び一か所にまとめて山積みにする。
細かいところは鎌で刈る。
土手を築くには、今回は、境に穴を掘り、小さな枕木のような木を何本か埋め込み、ねじでつなぎとめておき、周辺にバラスを入れ、固定しました。
色々な道具を使って、作業をします。

ふと思うと、いったいいつ、これらの道具を使いこなせるようになったのだろう。
学校では決して習わないことですね。
ボーイスカウトでだったかもしてません。
植木屋さんでアルバイトして穴掘りがうまくなったことは間違いありません。
人によっては、こんなことは田舎に遊びに行ったときに覚えるのかもしれませんね。
しかしこのようにして、自分の生活を自分の力で守っていけるということは、自信でもありますし、田舎で暮らすには、絶対に必要不可欠なことです。
これこそが生きる力で、夏休みとかに、身に着けることなのです。
でないと、みんなお金で人にしてもらうことができる東京で暮らすという選択肢しか持たない大人になってしまいます。
生きる力、今こそと、思いました。

2018年10月15日月曜日

戦後…


戦争経験者の方々…大体、私たちの親の世代の人たちでしょうか…彼らの口癖は「子供達に同じ苦しみを味合わせたくない」でした。
多くの方からこの言葉を聞きました。
「苦しみ」という言葉が、「辛い思い」という言葉の時もありました。
苦しくない暮らし、辛くない暮らしというのはどんな暮らしなのでしょうか?

苦しいことというのは、辛いことというのは、どういうことでしょう?

戦争経験者の方々の辛い思いといのは、戦争の体験のことだと思います。
その体験とは、どんなものだったのでしょう。
火事の中を逃げ惑う。食べ物もなく何日も何も食べられなかった。生きるか死ぬか…死ぬかもしれないという体験のことなのではないでしょうか。
しかし、そのような体験が、バネになり、日本の高度経済成長を成し遂げたのも事実なのではないでしょうか?
あの時のことを思えば…と言って頑張ってきた結果の高度経済成長だったように思います。

死ぬような体験、特に戦争の体験をさせてはいけません。
しかし、苦しい体験をバネに生きて行く事も悪いことではない。
ということなのではないでしょうか。

戦争経験者の方々がこんな辛い思いをさせたくないという辛い思いといううのは、戦争の体験や、死ぬような体験をさせたくないということであったのではないでしょうか。
しかし、いつか…
辛い体験をさせたくない…が
辛くない暮らしをさせてあげたい…となり
楽な暮らしをさせたい…であり
働かなくてもいい暮らし…になってしまってはいないでしょうか?

私たちは、もっと、戦争をしないということに重きを置き、戦争体験ではなく、教育的に準備された辛い体験をすることが必要なのではないでしょうか?